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【錦鯉】長谷川雅紀の生い立ちは?元ホストだった経歴や元相方についても!

2021年のM-1王者となったお笑いコンビ【錦鯉

歴代M-1王者の中では最年長での優勝ということもあり、最近ではテレビに引っ張りだこです。

お笑い芸人といえば長い下積み生活が印象ですが、錦鯉の2人も大変な若手時代を経て現在に至っているそうです。

今回は、そんな錦鯉のボケ担当である長谷川雅紀さんに注目し、これまでの生い立ちを調べてみたいと思います。

この記事では、

  • 【錦鯉】長谷川雅紀の生い立ち
  • 【錦鯉】長谷川雅紀の経歴は元ホスト
  • 【錦鯉】長谷川雅紀の元相方

といった内容についてお届けしていきますので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。



【錦鯉】長谷川雅紀のプロフィールをチェック!

ますは、【錦鯉】長谷川雅紀さんのプロフィールからチェックしてみたいと思います。

プロフィール
  • 名前:長谷川雅紀(はせがわ まさのり)
  • 生年月日:1971年7月30日
  • 年齢:50歳
  • 出身地:北海道札幌市
  • コンビ名:錦鯉
  • 事務所:ソニーミュージックアーティスツ

長谷川雅紀さんは、お笑いコンビ【錦鯉】のボケを担当されている方です。

錦鯉は2012年に結成しており、まもなく結成10年!

2021年のM-1では過去最多6017組の頂点に立ち、ブレイク芸人の仲間入りを果たしています。

存在感が濃い長谷川雅紀さんですが、実は奥歯がないそうです。

年齢を重ねるごとに歯が抜けてしまい、食べ物を噛むことが困難なために丸呑みしているんだとか!

お腹の消化が心配ですが、長谷川雅紀さんといえは、一風変わった経歴があります。

次の生い立ちでは、そんな長谷川雅紀さんについて詳しく迫ってみたいと思います。




【錦鯉】長谷川雅紀の生い立ちは?

2021年のM-1王者【錦鯉

コンビのボケを担当する長谷川雅紀さんですが、その生い立ちはどのようなものだったのでしょうか?

長谷川雅紀の幼少期から学生時代

  • 北海道札幌市白石区に生まれる
  • 実家は鮮魚類のお店を営んでいた
  • 高校は北広島西高校出身
  • 高校卒業後はデザインの専門学校に進学するも約半年で中退

長谷川雅紀さんは北海道札幌市の白石区に生まれ、当時の実家は鮮魚類の珍味店を営んでいたそうです。

鮮魚店は2代目の父親が継いでいましたが、1979年には閉店。

長谷川雅紀さんいわく、

「父は事業に手を出して騙され、店を取られちゃった」

とのことで、閉店の理由は詐欺の被害にあったことが原因のようです。

長谷川雅紀さんの幼少期は、かなり苦労されていたのかもしれませんね。

高校では後にコンビを組む久保田昌樹さんと同級生で、さらに1学年下にはお笑いコンビ『モリマン』のモリ夫さんがいました。

卒業後は大学ではなく専門学校に進学しましたが、半年という短い期間で中退。

専門学校へは友人がデザインの専門学校に進学すると聞き、自分も行こうと考えたからだそうです。

結果的には中退されていますが、もしそのまま通い続けていたら芸人の道に進んでいなかったかもしれませんね。

専門学校中退後はアルバイト

  • 専門学校中退後はホストなどのアルバイト
  • 舞台での芝居や海砂利水魚に影響を受ける
  • 1994年から札幌吉本で芸人を目指す

長谷川雅紀さんは専門学校を中退した後、ホストなどのアルバイトをされていました。

実は16歳の頃からアルバイト経験があり、バイトの経験年数は30年以上にも及ぶそうですよ!

そんな中で舞台で芝居をする機会があり、笑わせるシーンが面白いと思ったことや当時の海砂利水魚のコントに影響を受けて芸人を目指すようになったとのこと。

長谷川雅紀さんにとって、くりぃむしちゅーは憧れの存在に違いありませんね!

コンビ初結成から【錦鯉】となるまで

  • 高校の同級生とコンビ『まさまさきのり』を結成
  • コンビ名を『マッサジル』に改名するも解散
  • ピン芸人『のりのりまさのり』として活動
  • 現在の相方『渡辺隆』と【錦鯉】を結成

札幌吉本に入った長谷川雅紀さんは、高校の同級生だった久保田昌樹さんと『まさまさきのり』を結成し、その後『マッサジル』に改名されています。

私は当時マッサジルを知りませんでしたが、2008の爆笑オンエアバトルやおもしろ荘にも出演された経歴があります。

実は当時タレントのマリエさんに絶賛されていて、コンビとしても上々の調子だったそうですよ!

しかし、相方の久保田昌樹さんが体調を崩してしまい、2011年にコンビ解散。

その後、長谷川雅紀さんはピン芸人『のりのりまさのり』として活動開始します。

『のりのりまさのり』といえば、あの『のりのりまさのりダンス』ですが、ダンス自体は2001年頃に披露していたそうです。

意外と歴史があるダンスなんですね!

2012年には、現在の相方である『渡辺隆』さんと【錦鯉】を結成し、今に至ります。

【錦鯉】長谷川雅紀は元ホストの『マツモトキヨシ』

長谷川雅紀さんは、20歳の時にホストとして働いていたことがあります。

キャラクター的にホスト姿を想像できませんが、女の子と話してお金を貰えるという楽なバイトだと思って挑戦したとのこと。

「芸人やる前で、その頃は二十歳で、まだ全然世間が分からないじゃないですか。お酒飲んで、女の子と喋ってお金もらえるなんて、楽なバイトだと思って始めたんですけど…難しかったですね」

引用:デイリーより

ホストを始めた理由はまさに長谷川雅紀さんらしいですね!

ちなみに、ホスト時代の源氏名は『マツモトキヨシ』と名乗っており、後輩にキヨシというイケメンがいたことで同じキヨシという名前に。

さらに、お店の店長から「じゃあマツモトキヨシでいいじゃん」と言われ、結果的に『マツモトキヨシ』という源氏名になったそうですよ!

まるでコントのような展開ですが、ホストの仕事はあまりうまくいかなかったみたいです。

その理由は、女の子と話せないことや女の子のことが何一つ分からない状態で接客していたと長谷川雅紀さん自身が話しています。

どうやらお客さんとの会話が盛り上がらなかったようです。

ですが、長谷川雅紀さんの子供時代のあだ名は『マッチ』と呼ばれていたとのことから、子供時代だけでなく当時もイケメンだったのではないかと思います。




【錦鯉】長谷川雅紀の元相方について

長谷川雅紀さんが芸人として初めてコンビを組んだのが高校の同級生だった久保田昌樹さんです。

まさまさきのり』や改名後の『マッサジル』として共に活動してきたわけですが、当時の相方である久保田昌樹さんは、2008年頃に体調を崩し帰郷されています。

その後の2011年に『マッサジル』は解散し、久保田昌樹さんは芸能界を引退

2人は別々の道へ進むことになり、その後長谷川雅紀さんは『錦鯉』を結成して現在にいたるのですが、実は久保田昌樹さんは2018年(当時46歳)という若さでなくなっています。

病状等の詳細は分かりませんが、2008年頃に体調を崩して帰京されていましたから、その当時から体調はあまりよくなかったのかもしれません。

もしかすると『マッサジル』の解散理由に関係しているのではとも思います。

長谷川雅紀さんと久保田昌樹さんは同級生で同じ札幌吉本の1期生。

ともに芸人を目指した仲ということもあり、きっと長谷川雅紀さんが錦鯉としてM-1王者になったことを喜んでくれているのではないでしょうか。

まとめ

今回は、【錦鯉】長谷川雅紀さんの生い立ちを中心に、ホスト時代や元相方についてお届けしました。

50歳でM-1王者になった長谷川雅紀さんですが、その生い立ちはとても濃いものでした。

特に私個人としては、元ホストだったことや源氏名が『マツモトキヨシ』だったことが印象的で、当時の様子については興味があります。

残念ながらホスト時代の画像などはありませんでしたが、きっとイケメンだったのではないかと思います。