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銘苅(めかる)春政の経歴や生い立ちとは!銘苅三味線店の場所についても調査!

沖縄には欠かせない伝統楽器『三線(さんしん)』を作り上げるのが銘苅(めかる)春政さんです。

88歳ながら今も現役の三線職人、情熱大陸でも取り上げるほどの名工なんだそう!

今回は、そんな三線職人として活躍されている銘苅春政さんの経歴やその生い立ち、さらに自身の営む銘苅三味線店についても調べてみたいと思います。

  • 銘苅(めかる)春政の経歴や生い立ちは?
  • 銘苅(めかる)春政の家族構成や弟子は?
  • 銘苅三味線店の場所は沖縄のどこ?

といった内容についてお届けしていきますので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです!
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銘苅(めかる)春政のプロフィール


沖縄に伝わる伝統楽器『三線』を作る銘苅春政さん。

まずは、銘苅春政さんがどんな人物なのか、簡単なプロフィールからチェックしてみたいと思います。

プロフィール
  • 名前:銘苅春政(めかる はるまさ)
  • 生年月日:1934年8月10日
  • 年齢:88歳
  • 出身地:沖縄県玉城村(現在の南城市)
  • 職業:三線職人・実演家・三味線店経営者

銘苅春政さんは職人歴64年の三線職人であり、同時に三線の実演家でもあります。

さらに、沖縄では自身で銘苅三味線店を営む経営者としても活躍さているんです。

64年という職人歴や88歳という年齢から、凄腕の職人さんというのは感じ取れますが、銘苅春政さんの場合は現代の三線職人界でナンバーワンと評されるほどの人物。

ほぼ毎日工房に篭っており、銘苅春政さんのワザは他の職人には出せないものなんだそう!

現在は、主に棹(さお)の部分を手掛けており、その棹に関してもバランスや形は唯一無二と言われています。

まさに、究極の職人と言っても過言ではありません。
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銘苅(めかる)春政の経歴や生い立ちは?

三線職人として名を轟かせる銘苅春政さんですが、その生い立ちや職人としての経歴も気になります。

銘苅春政さんは、昭和9年の1934年に現在の沖縄県南城市に生まれました。

父親が大工の棟梁をしていたことからその元で見習いとして働きはじめ、24歳となった頃に銘苅春政さんに人生の転機が。

三味線のお店を営む親戚の夫婦から、三線職人へのお誘いがかかったんです。

理由は大工としての腕前が買われたことだそうで、当時から相当仕事ができたんでしょうね!

三線職人への道を進みはじめた銘苅春政さんは約7年間を住み込みとして修行し、31歳で独立を果たし自身のお店を持ちました。

「給料はB円(終戦後、通貨として流通したアメリカ軍発行の軍票)で3000円。ドルになって40ドル。当時、軍作業の人たちは80~100ドルもらってたよ。(自分の給料は)少ないよ。住み込みだから生活できたんだよ」

引用:沖縄県三線製作事業協同組合HPより

三線職人となってから世の中に送り出した三線は、なんと7000本以上!

さらに職人としてだけでなく、実演家としての道を進み始めたのも住み込み時代。

「最初は古典の流派もわからんかった。三線店の長男が古典を習ってて、店のオカーが、アンタも行きなさいって言うから始めた。習うところも近かったしね」

引用:沖縄県三線製作事業協同組合HPより

さらに・・・

  • 1960年:琉球古典音楽コンクール三線部門 新人賞
  • 1963年:琉球古典音楽コンクール三線部門 優秀賞
  • 1964年:琉球古典音楽コンクール 胡弓(クーチョー)部門 新人賞

など、実演家としても輝かしい経歴の持ち主!

現在銘苅春政さんは、安冨祖流絃聲会の三線と胡弓の師範なんだそうですよ!

こうして生い立ちや職人としての経歴を見てみると、銘苅春政さんは凄い人を通り過ぎて、もはや伝説級の職人としか思ません。

さらに驚くのは、ボーリングの腕前。

趣味でもあるボーリングは今でも続けており、パーフェクトを出したことや昔は国体出場の経験もあるんだとか!

88歳という年齢ながら現役として活躍し続ける理由は、もしかするとボーリングも関係しているかもしれませんね!
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銘苅(めかる)春政の家族構成や弟子はいるの?

続いて銘苅春政さんの家族構成についてですが、32歳の時に結婚されその後33年間を那覇しで過ごされたとのこと。

奥さんについての情報はなく、結婚後に那覇市に移っていることから奥さんはもともと那覇市の方なのかもしれません。

さらに子供さんに関しても手掛かりとなる情報は見当たらず、いるのかいないのかについても不明です。

銘苅春政さんは三線職人界でナンバーワンの人物、そうなると弟子の存在も気になるわけですが、銘苅春政さんいわく「雇ってはいない。通ってきている。口で三線づくりは教えられない。ヤナ(下手な)作りでも良い。持ってきたら教える」とのこと。

どうやら習いに来ている方はいるようですが、正式に弟子として教えているわけではないみたいです。

もし子供(息子さん)がいれば継いでいる可能性もありますが、弟子がいないとなると少なくとも息子さんはいないのかもしれません。
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銘苅三味線店の場所は沖縄のどこ?

銘苅春政さんが営む銘苅三味線店ですが、その場所はどこなのでしょうか?

調べてみると、沖縄県南城市玉城字前川857-1という場所に銘苅三味線店があるとのことです。

実は住所はあまり知られていないようで、Yahoo!の情報で私はかろうじて知ることができたわけですが、実際に来店するのは多少土地勘がないと難しいとの情報もありました。

気になる銘苅春政さんが作られた三線の値段ですが、販売されているみなみ三線店によると完成品で入門・中級者用が10万円~となっていました。

その他にも様々な三線がラインナップのあったのですが、どれも完売!

銘苅春政さんの三線を手に入れるのはなかなか至難の業かもしれません・・・。

まとめ

今回は、銘苅春政さんの経歴や生い立ち、さらに銘苅三味線店についてお届けしました。

職人歴64年の銘苅春政さんは業界でもナンバーワンと称される偉大な人物で、職人と同時に実演家としても活躍されています。

銘苅春政さんの三線はなかなか手に入らないようで、もし購入できてもかなりのお値段がする模様・・・。

まさにレジェンドのような人物ですね!